江野久美子
天野が原在住・神戸市生まれ
新日本婦人の会交野支部支部長
交野市民となって40年になります。あらためて驚いています。というのも子どもの頃は父親の職業が国鉄職員だったので、小学校でも中学校でも転校をしました。高校受験も滋賀県草津市の中学校から兵庫県神戸市の公立高校を受けました。当時の3年担任には随分お手数をおかけしたと思います。なにしろ他府県の公立高校を受験するには3年生の学年全員の成績一覧表を内申書の添付書類として送らなければならないからです。今でいう団塊の世代(1947年生まれ)ですから学年の生徒数は560名余りでした。
そんなわけで、引っ越しばかりしていたように思います。結婚してからも何故か引っ越しぐせがついてしまったようで交野に来るまでに4回引っ越しました。
ところで、3歳年上の兄は転校せずに何処かに下宿させてもらっていました。「なんで?」と思っていました。高校2年生の時、文科系か理科系かのコースを選択しなければなりませんでした。母親の「女の子は文科系でいい」というひと言で理科系に進みました。こんな感じで「女子だから」という言い方に敏感になっていたように思います。
四條畷市で15年、交野市で21年中学校の教師をしました。楽しいこともしんどかったこともいっぱいありました。
今の学校は大分様変わりしているように感じます。心配です。何をどうすればいいのかはっきりとはしませんが、とにかくいろんな場面で関わっていきたいと思っています。
退職してから新婦人(新日本婦人の会)の活動に本格的にかかわるようになり「政治をタブーにしないおしゃべり」「平和がいちばん!」「ジェンダー平等」など“わが意を得たり”と思える行動ができるようになりました。先日、大阪府本部大会がありましたが若い世代の会員さんたちの活躍を見て感動しました。交野にも若い力が欲しいとつくづく実感しました。

退職してから始めたことがもう一つ。「交野うたう会」で歌うことです。「うたごえ」というジャンルの合唱で「いのち、平和、なかま」などを大切にしたうたを歌っています。
なかなかエネルギーのいる活動ですが続けたいと思っています。
私たち団塊の世代は、様々な場面でテストケースにされたり、それまで保障されていた権利を縮小されたりしてきました。そもそも戦後ベビーブームの原因は戦争です。戦争は絶対ダメです。憲法九条を亡きものにしてはなりません。


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