祝園弾薬庫を現地見学
交野革新懇はこのほど、京都府精華町祝園(ほうその)ミサイル弾薬庫、陸上自衛隊祝園分屯地を見学、東京ドーム100個分の広さといわれる、分屯地の周囲を一周しました。

京都革新懇の呼びかけで、「祝園弾薬庫増設問題」をめぐる学習会が精華町地域福祉かしのき苑で開催され、交野革新懇からも参加しました。
自公政権は、安保3文書にもとづく敵基地攻撃能力の保有を打ち出し、そのためのミサイル弾薬庫を各地で大増設します。

この近くでは交野市、寝屋川市、枚方市、四條畷市、東大阪市から10km程度の距離にある京都府精華町の陸上自衛隊祝園分屯地で、弾薬庫を300億円(24年度予算案に盛り込まれた弾薬庫新設費用102億)かけて8棟増設し、本州最大級の施設にすることが計画されています。今後この分屯地は陸上自衛隊、海上自衛隊の共同使用となり、巡航ミサイルトマホーク、12式地対艦誘導弾能力向上型など射程1000km以上という中国の奥地まで射程に入ることとなり、大幅に緊張を高めることになります。


学習会当日は、「ほうそのネット」の運営委員長の大西浩安さんから60分程度祝園の弾薬庫増設計画や祝園弾薬庫になった経緯、なぜ、弾薬・ミサイル大量購入・備蓄なのか、祝園弾薬庫の周囲は、学研都市にふさわしい国会図書館、大学や多くの住宅(25、4万人)が住んでおり、住民の生活と命を守る・・・防衛省に説明会の要望などをお話ししていただきました。
弾薬庫は戦争の標的に 爆発の危険性が高い

いったん戦争が始まれば真っ先に攻撃されるのは弾薬庫です。また、弾薬庫は爆発の危険が高い。枚方に、禁野火薬庫が1938年3月1日、大爆発大惨事が発生しました。大爆発によって94人が死亡、602人の負傷者が出て全半壊821棟、三日間燃え続けました。祝園での爆発はその何倍かわかりません。枚方禁野火薬庫の爆発のために祝園に火薬庫がつくられた経緯があります。
祝園弾薬庫は、いまどれだけの弾薬庫があるのか?


写真にあるように4棟、下の写真のように6棟設置され、合わせて10棟の巨大な弾薬庫が設置されています。それ以外に8棟の増設が決められ、弾薬庫の種類は既に祝園分屯地内にある火薬庫と同様、地上覆土式にとなります。まさに、大型弾薬庫です。
なぜ?弾薬・ミサイル大量購入・備蓄なのか
これは防衛省のホームページに載っているものですが、反撃能力を持つんだ、攻撃をされるとそれをレーダーで捕まえて反撃のミサイルを撃ち込む、そのために丹後半島に米軍レーダー基地がつくられ、日本海に飛んでくるミサイル・飛行機を補足する一大拠点がつくられ、舞鶴港にイージス艦が配備されています。イージス艦を使ってトマホークなど打ち込むことができる。さらに超査定のミサイルを配備をしょうという計画があります。戦争を続けるためには少しばかりのミサイルでは足りないので、そのために大量の武器・弾薬・ミサイルが必要になるということです。祝園分屯地が陸上自衛隊、海上自衛隊の共同使用によって大量購入・備蓄が必要だとしています。
確認書にもとづく住民への説明会を
1958年に米軍から日本に返還されることが決まり、町民・町・議会が一致となって返還運動を繰り広げました。その町民あげてのたたかいの中で、当時の防衛庁と23項目の「確認書」が結ばれました。確認書の第四項で「弾薬庫の貯蔵量の基準を定め増加する場合は事前に町側と協議の上決定することを確認されたい」に対して、「増加する場合は事前に町側と協議する」と回答しています。この確認書に基づいて住民説明会を要求し、「祝園火薬庫等整備についての住民説明会の開催を要望する署名」を取り組んでいます。
祝園ミサイル弾薬庫問題 学習会へ会場一杯の参加

交野市隣の精華町に、ミサイル弾薬庫が建設されることを知り、これは大変なことと思い、現地などでの学習会に参加してきました。
昨年交野平和展で、祝園のパネル写真を展示し、9条の会講演会時に現地運営委員の方から訴えを行なっていただきました。
安保3文書による長距離ミサイルの配備、そのための大規模弾薬庫の建設が各地で進められる中、日本の平和を守るためにも大きな問題となってきました。
「隣町で大型弾薬庫が建設される」ー戦争・平和の問題が身近となってきました。ぜひ多くの方に知ってほしいとの思いで、学習会を企画しました。
2月22日は、ゆうゆうセンター研修室が満員となりました。映像を見て、話をして、意見交換しました。
鹿児島県でこの日「戦争止めよう!沖縄・西日本ネットワーク」の結成総会が開かれ、祝園ネツトからも参加されました。

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