67年前 星田原子炉設置反対運動

くらし

 原発は、ひとたび大きな事故を起こせば、人間の手では押さえきれません。

 ところで、いまから67年前、星田(現在の星田西・コモンシティ)に研究用原子炉をつくる計画があり、住民の反対運動により撤回された歴史があります。

 もし、星田に設置されていたら、いまの交野のまちも、全然違うものになってしまったでしょうね。計画を食い止めた住民の運動は、どんなふうに取り組まれたんだろうと思いました。

 参考文献を調べて、今号と来月号に分けて報告させていただきます。

                   交野革新懇代表世話人 立花勝博


原子炉誘致に動く交野町

 多くの原爆被爆者がまだその後遺症に苦しんでいる昭和31年、東海村に約50億の費用をかけ、日本最初の原子炉研究所が作られた。

 その同じ年、政府より関西地方にも三ヶ年計画で研究用原子炉を作るようにと15億円の予算が下りた。

 まず、京都の宇治、次に高槻の阿武山と候補地に上がったが、これらは市民の猛反対を受け設置できなかった。宇治、阿武山の失敗後、次の候補地として,公式の理由は、当時寝屋川水系と神崎川水系のみが上水源と利用されていなかったことによる。原子炉委員会が出した条件にあてはまる候補地としてこの水系の4つの場所(北河内星田町・四條畷町・吹田市山田・三島郡三島町)が関西研究用原子炉設置候補地としてあげられ、四候補地の代表が大阪府庁に呼ばれ、交野町(交野町長)が星田に原子炉誘致を力説、原子炉星田案が成立。

ハラコロ来よるぞ!

 星田の妙見河原の桜がちらほらほころび始めた3月26日の夕暮れのことである、のどかな星田村に、突如大事件がふってわいたのである。

 世話好きで世間通の男が、夕刊片手に、「えらいこっちや、えらいこっちや」とはしりまわっていた。それをよびとめた百姓の夫婦が、「えらいこっちやて、どないしたんぜぇ」と足を止める。「どうしたもこおしたもあるけえ、星田が新聞にのってんじゃ」「え、ほんまだすか」「これゃ、ここ読んでみなはれ」手の甲でその記事の所を叩きながら、彼は新聞を差し出す。「お前読め」と言われて女房は、「ほな」と新聞を受けとる。「何んでんね、このハラコロ」と目をみはる。「違いまんがな、もう、ゲンシロ、原子炉と読みまんねんがな、貸してみなはれ、よろしいか、関西研究用原子炉・星田案。関西に研究用原子炉を設置しようと、計15億円の予算が組まれたのは、去る31年のこと。それから京都の宇治、高槻の阿武山と候補地が移され、もう三年以上たつが、この度、交野町長が地元の発展のため、ぜひ星田地区に原子炉を誘致したいと申し出た。このため大阪府北河内郡交野町星田区に設置案が決まったな、えらいこっちゃろ」男は、「のお、考えてみい、15億やど、15億。ものごっつい予算やないけ」男がそう言うと、キラリと百姓は目を輝かせ、にわかに身を乗り出して「星田のどこへ来るんやろのお、誰の畑がうれるんやろ。値は何ぼやろ」男は、「さあ、そこやがな、大事なんわ。15億やど、ええのお。立ちのき料やら何やらのお」と声を弾ませる。そして、男は、「発展しまっせぇ。ほな、俺、皆にもちょっと知らせて来まっさ」と男は再び畦道を「えらいこっちゃ」と新聞をかざしながら走って行った。星田の町のあちこちでささやかれ、原子炉をハラコロと読み間違えたり、原子炉が本当に安全な物か、住民にとって本当に必要な物なのかということは一言も相談されはしなかった。原子炉委員会(科学技術庁)が推すものに、悪いものなどあるはずがない、と思い込んでいたのである。

「反対」いち早く表明 水本村、寝屋川市

 原子炉設置予定地は水本村(現寝屋川市)の村域ではないが、境界の旧高野街道をはさんで目の前に建設されるため水本村としても大いに注目もし、当然関心も高くなりました。そして原子炉設置予定地である星田地区の地主の約7割は、隣村水本村の住民です。(『朝日新聞』昭和34年5月28日付大阪版夕刊記事)。もともと水本村内には、さまざまな条件を付けて結核療養所が立地されましたが、立地の時に約束された契約が履行されていないことが村議会で問題になっていました。地域住民が立地を嫌がる迷惑施設は、一つ立地されると、次々別のものが計画されていく、原子炉設置反対運動をおこした背景には、この負の連鎖を断ち切ろうとする水本村住民の切実な願いがありました。

原子炉設置候補地 現在の星田西・コモンシティ

 原子炉は危険と判断して、どこの周辺市町村よりも早く反対運動をはじめました。5月には水本村の村会をひらき原子炉設置反対の決議を14対1で可決、全村的反対運動組織として設置反対期成同盟が結成され、本部長には村長が就きました。

 寝屋川市の反対運動が激しく起こったのは、寝屋川の上流に原子炉設置となると、原子炉の廃液が農業用水の寝屋川に流れ込むという理由で関心度はことのほか強く、当時は専門学者でもその安全性は絶対とは言い切れぬ段階にあったので、原子炉設置実現は市民の生活を危険にさらすものとの意見が全市的に沸き起こりました。1959年6月29日第一中学講堂で、市長を本部長にする交野原子炉設置反対期成同盟が結成され、反対運動を進めていくことが確認。

交野町は誘致 星田では反対運動

 交野町は誘致へ動き、地元星田地区で反対運動が盛り上がる。

 交野町では原子力問題対策委員会を設置し、各層の意見を聞き集め、その安全性その他について、慎重に対処していくことにしていました。町行政側では、原子炉設置準備委員会から阪大教授伏見康治氏を、設置慎重派から名大教授坂田昌一氏を各々呼んで、6月初旬に研究会が計画されたという報道(『朝日新聞』昭和34年5月16日付け大阪版記事)されたが、その研究会が開催された記録は現在発見できない。

 大阪府の原子力平和利用協議会より交野町へ「候補地に推薦する」と正式申し入れがあり、交野町長は星田の原子炉を正式に受託すると発表しました。

 寝屋川市長、水本村村長は,何度も交野町長の所に足を運び原子炉設置を反対してくれるように頼んだが、その度に交野町長は、「何を言うてはりまんねん、地元の交野町が原子炉に賛成してまんねんで、町民はみな、町が発展する言うて喜んでま。横からとやかく言わんでもらいたいですな」と迷惑そうに取りあわなかった。

どないしてくれんね

 水本村や寝屋川市の反対運動から1カ月遅れて、有志によって地元星田地区で地域住民による反対運動が開始されました。

 「先生、どないしてくれんねんな」ある日、星田の大学教授(地元では教授一家として有名)の家に一人の男が血相をかえて飛び込んできた。それは、業を煮やした隣村の水本村の男であったが、玄関に入るとのっけに「町長は28日原子炉設置を大阪府から正式に受託しよりまっせ。このままでは星田に来まっせ」口角泡とばし一人でまくしたてている。

957年10月10日イギリスで発生した最大級の原子炉事故

「まあ、待ってください。君が知っているかどうか知りませんが、最近イギリスで大きな原子炉事故がありました。ウインズケールという所です。早速イギリスの友人に問い合わせたら、詳しいデータを送ってくれました。それによると半径10マイル内の乳牛も牧草も放射能を受け、その地方の牛乳も乳製品もすべて販売禁止で回収されているんです。そんなわけで,密かに研究調査を行なって,原子炉は非常に危険な物で人家の近くに置くなんてもっての他という事が分りました」そんなら「反対だっか」と男、「勿論、私も妻も家族も皆反対です。しかし私は大学教授でも文化系であつて科学者ではありません。だから反対するにしても,人一倍、危険という確証を持たねばならぬのです」

 「ええこと聞いた。ほんならおん大将になって明日から反対に立ち上がってくんなはれ」と男。「そうあわててはいけません。反対には『天の時、地の利、人の和』がたいせつなのです」「つまり、反対に立つ時期が大事やという事です。わあわあ騒ぐだけでは犬の遠吠になりかねません。だから今まで沈黙を守っていたのですょ」「それに人の和、つまり村民の団結が必要なのです。自分の生まれた村や自分の家族は自分で守るという強い結束がないと,国や大阪府や学者グループに刃向かっても螳螂の牛車に向かうが如しです。しかし隣村のあなたの熱意には頭が下がります。やります!」「こうならんとどんならん。灯籠や何やむつかしい事はわからんが、とにかく安心しました」と言い男は帰っていった。

 町当局が原子炉を受入れるには,町議会が賛成の議決をしているはずである。教授は同村の町会議員にその真疑を正した所、「そんなん何んにも聞いていまへんでえ」他の議員にも聞くと「そんなもん来やしませんで」とうそぶくばかり、町長に電話しても、その度に不在ということで連絡が取れず。

反対のノロシ

 6月28日に予定されている原子炉設置正式受託等を考え合わせて、星田の大学教授が、日頃から親しくしているこれと思う人、数人に声を掛けたのだったが「先生反対のノロシを上げる」のニュースは瞬く間に村中に広がった。

 その夜、野良着姿のままの百姓、通勤帰りのサラリーマン、主婦らが続々とつめかけ、教授宅十畳座敷はあふれ、廊下にも入りきれず茶の間に座る人もいて、原子炉への不安の大きさを示した。出席者52名という予期せぬ人数であった。やがて教授が静かに語りだすと、座はしんと静まった。

 「皆様も良くご存じの通り、原子炉はやはりこの星田に来ることになりました。それについて住民の皆さんとして是非一度、話し合わなければならぬと思い、僭越ながらお声をかけた次第でありますが、こんなに沢山来て下さるとは思いませんでした。これは皆様が原子炉に不安を持たれている証拠だと思います。私も妻も原子炉について詳しく勉強をしました。が、調べれば調べるほど非常に危険な物だと分りました。村を守るため家族と子孫を守るため、私はどんな事をしても原子炉設置に反対するつもりですが皆さんはいかが考えでしょうか」

(次号交野革新懇ニュース138号に続く)

※史科・参考文献

  • 交野町略史、寝屋川市誌、枚方市史、四条畷市史
  • 水本村・議会議事録、交野町・議会議事録
  • 原子炉発電を考える妙見坂小学校授業実践のための教材・資料集”えらいこっちゃ”
  • 樫本喜一関西原子炉交野案設置反対運動を事例に
  • 実録 関西原子炉物語 

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