67年前 星田原子炉設置反対運動

くらし

 シリーズ№3

交野革新懇代表世話人 立花勝博

村民大会に800人集まる

 が然、村内は蜂の巣をつついたようにざわめき立ってきた。各町内では集会を開いて真剣に原子炉ととりくみ始めたのである。そんな6月28日の夕方、テレビで、「次は大阪府庁で今日行なわれた、関西研究用原子炉の交野町正式受託の模様をお伝え致します」アナウンサーの説明後テレビの画面は府庁の知事室を移しだす。知事が原子炉設置の公式文書を読み上げる。交野町長がそれを押しいただいて受け取る。副知事、室長、居並ぶ府庁高官、原子炉設置推進委員達が拍手をする。

昭和34年当時の星田の人口は3000人、区民大会に800人参加

 同じ時刻、星田の村人たちもテレビの前で固唾をのんだ。「そうだよ、物事には反対は付きものだ、気にしては何も出来ない。政治家たる者、腹をすえ、そんな奴達は蹴散らすことだ。知事がおっしゃるように、面子にかけても原子炉はやりとげる。八月には着工だ」と交野町長や副知事が気焔をあげていたのを村人たちは知る由もなかった。「われ、テレビ見たけ、正式受託されてもた」「えらいこっちゃ。地元のわしらに一言の相談もあらへん。俺等を馬鹿にさらしている。こうなったら村民大会や」「そや、村民大会や。ほんで、こんな交野町から分かれるんや」テレビを見た村内は殺気立ってきた。民主主義では民衆が政治から少しでも顔をそむけると、そこはたちまち伏魔殿に変わる。事は急を要した。集まって来た人たちは、30日に是が非でも自分たちの手で村民大会を開き、各町幹事から町内会の結論を発表してもらおうと相談し、その準備に八方へと飛んで行った。

 その夜、教授宅に強硬反対者の同志が会合し、原子炉反対期成同盟決起大会を二日後の6月30日に開くことを決定した。しかし、公民館を借りるという難関があった。星田区の区委員はいまだに町長に忠勤をはげんで、この反対運動に背をむけていのである。「町に反対する会合には公民館はお借ししまへん」と区長からにべもない返事が返ってきた。しかし調べると、小学校の敷地内にある公民館の管理は校長にゆだねられていた。それでPTA会長が話をつけて、やっと借りられる目処がついた。区委員の本屋の店主が、スローガン用の紙を持参して達筆を振るうことを申し出てきた。

 教授が明日の大会の参加者数をひどく心配したので、教授の妻は、もう一度村の人に呼びかけようと思いつき、恥ずかしさを抑えて、とにかく大会に人が集まらぬなら反対運動は失敗なのだと声をふりしぼり、朝からメガホンで訴えた。「町内の皆さん今夜7時から公民館で原子炉設置反対の初めての村民大会が開かれまぁす。こぞってお集まり下さい」汗を流して呼び込んでいると、後ろからオート三輪が来て、「この暑いのに、そら大変だバタコの後ろに乗っとくなはれ、一緒に回ったりまっさ」と載せてくれた。ところどころでバタコを止めてもらうと、声を張りあげる。百姓達は朝の仕事から帰ると昼食後は、”ひのつり”と言って午睡を取る習慣なので通りには誰も居ない。人は聞いているのかどうかも分らない。「暑いですから、そのまま家の中で聞いて下さい。このままでは原子炉がきます。大会を成功させて下さい」「子どもの将来を守るためにも来て下さい。男の人が来てくれなくても、せめて私たち母親だけはお集まり下さい。母として子どもを放射能の危険から守りましょう」声は夏空に吸い取られる。その時「ちょいとまっとくれやす」と、もんぺ姿の百姓女が、あちこち凹んだ真鍮の薬罐をさげて後を追ってきた。「ごくろうさんやなあ。このくそ暑いのに、さ、これ飲んどくれやす。冷たい井戸水だァ。今晩行かせてもらいまっせぇ」とねぎらってくれた。

  6月30日、星田区民大会開かれる。「えらいこっちゃ、先生、えらいこっちゃ」教授が公民館に着くと、関係者が飛び出してきた。「中はてんこ盛りの満員で座るところなんてあらしまへんで」開会7時であるにも関わらず、6時半に来てみると中は熱気につつまれ、椅子に腰かけられない人たちは演壇のま下にむしろを敷いて座り込んでいるし、後ろは立っている人で立錐の余地もない。新聞記者やカメラマンが駆け回っている。正面には墨で黒々と

  • 原子炉の星田設置を絶対許すな
  • 大阪府は区民の血の叫びを聞け
  • 町長の横暴を許すな
  • 先祖伝来の土地を死守せよ
  • 交野町より分村しよう 

のスローガンがかかっていて、会場は異様な雰囲気で蒸しかえるようである。

 公民館には 800人に近い参加者が、汗をふきながら、会の始まるのを今や遅しと待ちかまえている。司会には、司法書士の方があたった。教授が壇に上った。「星田の皆さん。いや、ほいさの皆さん」このほいさという方言発言で場内がどっと湧き、雰囲気が一度に和やかになった。「皆さんがどれだけお越し下さるかと、昨夜は一睡もできませんでした。今日の大会はみなさんのご来場にかかっておりました。今、かくも多数のみなさんを前にして、心安らくとともに、非常な心強さを覚えるのであります。さて、私たちの故郷交野は平安の昔から宮廷貴族の狩場として、また離宮の地として、古典文学にその名を残しております。特に星田は、妙見河原が桜の名所として戦前はラジオで放送され、多くの方の人が訪れました。山は紫に、水は清く、人は素朴、人情は厚い平和な村であります。ところが思いもかけず、この星田が昨今新聞、テレビ、ラジオで世間の注目をあびるようになりました。この平和な村にいったい何がおこったのでしょうか。そうです。この美しい田園に、原子炉という危険きわまりないものをわざわざ招き入れようとする人物がいるのです。それは誰か。いや、ドイツ(誰奴)や、それは!」教授は一段と声を張り上げる。「町長や!」「町長のド阿呆やどぉ」皆がいっせいに叫ぶ。「そうです。宇治で反対され、阿武山で断られたものを、なぜわざわざ星田に呼んでこなければならなかったか、私たちはそれを究明せねばなりません。先般、失礼ながらプリントで原子炉がどのようなものかを説明してお配りしました。みなさまはそれをお読み下さり、危険とご判断なさって今日、ここにお集まり下さいました。こんなに大勢の方にお集まりいただき、誠に心強い限りです。星田の村はまだまだ健在と誇らかに思えるであります」と教授が熱っぽく話していく。村人は身をのりだしてうなずきながら聞いている。会はすすみ、反対派の中心に座っている社長が、今までの経過報告をすませた。

 するとその時、場内より角刈りの眉太い青年が高下駄の音高くカタカタと壇上にあがった。一同何事がおこるのかと目を凝らしていると、「ほいさのみなさん、わて米屋の兄あんだす。この米屋のどら息子の阿呆に一言しゃべらしとくんなはれ」と体に似合わぬ大声で話し出した。「わてはみなさんも、もう御承知のように、ちょっとした理由ありで、自衛隊に入りました」わぁと場内がわく。彼は大恋愛をしたが、その女性の父に結婚を反対され、駆け落ちしたのだ、が若い彼には金がなかった。それで青年会の会長だった彼は、取りあえず会の金で新所帯を持った。そして彼はその金の返済のために自衛隊に入隊し、それで借金を返したのであった。「もう金は返せたけェ」「おおきに、おかげさんで何とか返せました」と彼は野次に悪びれずに手を振る。「その自衛隊で、わては放射能に当たって白血病になって苦しみぬいて死んでいった仲間をみました。放射能は怖い恐ろしい物だす。星田のみなさん、みなさんにはそんな目に会うてもらいとないんです。せやよって、その放射能を出す原子炉みたいなものを、星田に来させんよう、しっかり反対しようやないですか。わてからも頼みま」と深々と顔を下げると、「言いたい事はそれだけだァ。おおきに」再び高下駄を響かせ壇を降りたのである。皆はやんやの大喝采で彼の勇気を称えた。彼はそれ以後、勤め先も休んで反対運動に身を投じたのであった。それを機に会場からも活発に質問や意見が飛びかった。「おうい、ここらで町幹事、発表してくれェ」と野次が出て、最前列に並んでいた各町幹事が次々と立ち、町内会の結果を表明する。「○○町は反対です」「××町も反対です」「△△町も反対です」「◇◇・反対」その度に拍手が上がり、壇上に町名を書き出した模造紙に赤丸を入れていく。40町、43町と赤丸が並んでいく、他の町の発表が全て終わり、「四十五町、全てが原子炉に反対です」と発表した。大成功のうちに大会を終わりかけた時、取材に来ていた一人の新聞記者が、「先生、大会を開いたら最後に決議文を読んで締めくくるんですよ。でないと大会を開いた事になりませんからね」と教えてくれた。

 この産声を上げたばかりの素朴な民衆運動に同情的な人もいたのである。

「え。そうなんですか。こらえらいことや」と、礼もそこそこに教授が慌てて原稿を作る。皆からおされて教授の妻が壇に上り、その原稿を卒業証書でも読むように腕をまっすぐ伸ばして持ち、「昭和34年6月30日、ここに星田区民は区民大会を開き満場一致で、関西研究用原子炉交野町星田区設置反対期成同盟を結成し、星田原子炉設置に絶対反対する事を決議する」と大声で読み上げると、場内に嵐のような拍手と歓声がわきあがった。村人は全て席より立ち上がり、その響きはますます大きく高く烈しくなって、興奮の坩堝のようにいつまでも止まらなかった。拍手の渦と熱気は村人の一人一人の腹に重く響き、反対の心を固く結んでいったのだった。

分厚い壁

 7月3日(金)現地視察

 「検地に来よんど」誰かが大声で古い検地という言葉を使いながら知らせて回っている。30日の区民大会の決議文を持って、一昨日府と町当局に行き、代理者にではあったが手渡してきたばかりなのだ。なのに府会議員14名が現地視察に来ることになった。村中を電話が鳴る。「えっ、村民大会開いて反対やて決めただけでは分ってもらわれへんのけ」ほとんどの村人がそう言って電話の向こうで驚いた。教授の妻も、設置予定地まで30分かかる。昼食をそこそこに、黒雲のたれこめる中を予定地に走った。食事をしていた村人も箸を放り出し、母は子を背負い、慌てて設置予定地に走った。

 やがて黒光りした府庁の公用車が甲虫のように五台連なって止まり、原子炉推進委員会の議員や関係者ら約20名が降り立った。「原子炉反対!」誰かが叫び、皆が「原子炉反対!」とシュプレヒコールする。役人・議員は涼しい顔をして雨の降る前にと手際よく視察してまわる。

 怒号の中、一行の視察が終わるとザーと雨がきた。彼らは慌てて車に乗り込み帰って行く。夕立の中でずぶ濡れになりながら村人たちは怒りに燃える拳を握りしめた。政府というのはその面目にかけても決定した事は実行すると聞いていたがひどすぎる、と教授の妻は思った。

 が、この時彼女はまだ政府の本当のいやらしさを知らなかった。

 7月4日(土) 再び反対期成同盟の大会

 7月5日(日) 交野町長を同盟代表者が訪問と決定。町長は渋々その申し出を受けた。教授ら代表5名が自転車で隣村の町長の家に行った。教授をはじめ、皆が原子炉反対を認めてくれと熱心に説得するが彼は動じない。「星田もね、反対者ばかりと限らんよ。原子炉を喜んでいる住民もいる。町長として公平に見ねばならんのだな。各町内なんて言わず、何人反対か具体的に数字で示したまえ」と、さらに「それにね、正式の物は正式に決議するのが政治だよ。対策委員会をつくり、旧交野より二十名、星田からも二十名選び、諮問機関として、町議会で原子炉を設置するかしないかを採決すればどうかね。民主的で良い案だろが、どうだね」旧交野というのは彼の地元なのだ。そこからの20名はというのは彼の言う通りになる。星田の町会議員も全て町長側なのだから、これは話にならない案である。代表者たちは12時過ぎまでねばり危険を訴えたが、水母のように言い逃れをして意見を聞こうともしない。

 大阪府庁もそうであった。星田からはもとより、寝屋川市、水本村と毎日のように陳情団が足を運んだが、門前払いを食うか、代理の職員に適当にあしらわれるかである。寝屋川市長が直接知事と交渉してさえも効果はなかった。

買収に

 ある昼下がり、教授の家の前に磨き立てた自家用車が止まり、立派な背広を着た中年の男が、若い秘書らしい男を連れて入ってきた。大企業の重役である。断っても居座り勝手に語り出す。「私ども大手五大企業は政府の依頼を受けて原子炉産業を進めております。もう近い将来石油の資源が無くなるのは明白で、私達輸入国日本は、独自の原子炉エネルギーを開発しなければなりません」「それは大企業からの見方で、石油や電力を使っているのは大企業です。家庭用などそれに比べると微々たる物です。原子炉も外国から高いウランを購入せねばなりません」と反論したが、「東海村でも原子炉発電を進めております。ゆくゆくは星田も原子炉発電の中心地になるはずです。でも、なぜかみなさまの反対を得ているようで私ども関係者一同、胸を痛めている次第でございます。それで誠に失礼とは存じますが、これをお納め下さいまして、何卒穏便に事をお運び頂きたく」と分厚い封筒を膝の前に押しつけた。「何ですか、これは」見るとそれは札束であった。ちらりとようすを伺った重役は「御不足でしたら、後いかほどでもご用意いたしますので、はい」ともみ手をする。怒りがこみ上げ、「あんたたちは他でもこうしてお金で頬ぺたを叩いて歩いてるんですか。恥を知りなさい。帰って!見そこなわないで」と封筒を差し出す二人を追い出した。その同じ頃、原子炉予定地の地主たちの所へは、黒い公用車が止まり、役人たちが土地買収に日参していたのである。こうした札ビラの噂が村を飛び交い始めた。

交野原子炉発注

 その頃には大阪府では星田の原子炉設置の青写真と見取り図ができあがっていた。「先生、えらい事ですよ。これ見て下さい」大企業に働く方が、血相を変えてやって来て、一枚のコピーを置いた。「おお、これは」教授の顔色が変わる。それは知事の名により大企業に出した交野町原子炉発注書のコピーで、大阪大学教授の署名捺印もある。「うちの会社は死の商人です。陰で武器を作っています。生活のため働いていますが、おれは嫌いです」と彼は教授にぼそりとそう言った。

 事態はここまで運ばれている。府にとっては住民の反対の声など蝉の鳴き声と同じなのだ。原子炉の背後にそれを操る大きな得体のしれぬ何かがあるからだ。

府庁へ

 7月8日(木)町長第一回星田町幹事会開く

 町長は45人の町幹事たちを賛成派に引き入れるつもりであった。しかし彼らは各町内より選ばれた地主や百姓たちである。保守的に土地を守り、自分の代で土地を売ったり汚したりするのを恥と考えていた。それで話し合いなどつかず、最後には口論となり、全員が「町長がそない言わはるんなら、各家が反対やていう証拠をすぐ見せたりまっさ」と解散し、三日後にはもう「交野町星田地区原子炉設置絶対反対署名捺印簿」を各町内で作り町長につきつけた。それは780軒の内、府庁関係者の家と議員たちの家を除いた760軒(97・4%)の署名捺印であった。7月9日(木)町長は区委員達を呼び緊急協議会を開き、原子炉設置に努力するように激励。反対派は新しい事務所をつくり、毎晩のように対策を練って、「区委員10人全員を改心させるのは無理で、区委員一人一人と話し合い、こっちにむいていただこう」と三人の方が、さつそく、区委員の親戚や友人などの協力を得て、区委員の家に行き、夜を徹して話し合った。区委員は一人また一人と反対に回っていった。

 7月12日(日)、各家庭に大阪府から「原子炉の平和利用」というパンフレットが配られた。「写真入りの立派な物やなあ、日本原子力産業会議やで、何ですねんこの産業会議て」「政府とイネイネ(馴合いの方言)ちゃうけ」「『保存のため牛肉・じゃがいも等に放射能を当てる』?阿呆か、こんなん食うら癌になる」「腹立つなぁ、こんなに反対してのに」「五人や十人で陳情に行っても聞きよれへん、大勢でどっと繰り出しまひょ。バスで」「そやバスや、バスがええ。バスで行こ」その場でバス2台で行くことに決まった。

7月17日(金)午前10時バス2台にて府庁へ、星田・水本・寝屋川合流の陳情団出発。バスに乗りきれぬ人たちは、ちぎれるように手を振り見送る。バスの中では白鉢巻をしめながら「出征兵士で見送られた時みたいやのぉ」「そうや、怒敵鬼畜原子炉をやっつけろぉ」と村人はいきまいている。

陳情団激怒

 府庁ではさすがに今日は無視できず、応対室が設けてあり、代表と傍聴人二20名が入室を許された。間もなく副知事を先頭に原子炉関係者が席に座った。バスで来た残りの80名は、部屋の前の廊下に「原子炉反対」と書いた白鉢巻をしめて座り込む。

 人々の熱気でムッと暑い部屋では扇風機が熱気をかきまぜ、報道陣もつめかけカメラが数台まわっている。副知事が答弁する。「あれだけ科学者が安全だ保障している物を、どうしてみなさま方は反対なさるのか、私たち一同理解に苦しんでいる次第です」

「危険だと言明している科学者も沢山いる」と教授が代表で陳述する。「そりゃ君、左かかった科学者じゃないの」「安全・危険に右も左もありません」「でもね、星田へは交野の町長が是非にと呼ばれたんですよ」「村人に何の相談もなく勝手に呼んだんです」「でも交野町長はみなさんの代表者なのですよ」「だからこうして陳情に来ているのです」「一度府議会で決定した事はなかなかねぇ」「星田住民のほとんどの嘆願書を持参しました」原子炉反対嘆願書名捺印名簿を差し出すと、副知事は「私たちは大阪府民500万人の住民の命を預かっているものです。我々政治家を信用して、命を預けてください。決して悪いようにはしませんから」、陳情団の教授の妻がすかさず、「それじゃ500万の大阪府住民のためには私たち、その中の星田の住民を犠牲にするとおっしゃるんですか。そんな政治家信用できますか」と激しく反論した。「犠牲も何も、原子炉は良いものです。平和利用と言っているのが分らんのですか」「本当に平和なものなら、平和利用とどうして断わらねばならないです。後ろに軍備が隠されているから平和平和と言うのでしょう」

「と、とんでもない、研究用です。絶対に安全ですよ、私たちの知事を信用してください」「あなたの部下のしていることを見ていたら、あなたなんか金輪際信用できるものりですか!」このやりとりはテレビのニュースで放映されていた。

7月19日(日)区長・区委員・話し合いに応ず。

 「やっと捕まえましたよ」と臨時事務所で、区長らと話し合い、「分ってま、悪おました。もう堪忍しとくなはれ、もう反対しま」区長が言い、他の区委員も「このままやと店がつぶれるがな、反対する」とついに反対派になったのである。「どうでしゃろ、みなさんに反対同盟の役員になってもろたら」と、言うと、皆はこの名案に手を打ち、村役員たちは苦笑いをしたのである。7月20日(月)村中に役員一覧表が配られた。その一覧表には総務部、情宣部、渉外部と無理して作られたさまざまの部の部長として、区委員の名前がずらりと連なり納められていた。

ちゃりんこ部隊

 7月23日(木)自転車行動部隊編成。午前8時より交野六ヶ村に原子炉反対の陳情行進。

 交野の星田以外の六ヶ村は全て原子炉に賛成をしていた。もちろん、星田の反対同盟から代表者が各村区長たちに反対の協力を頼みに、幾度も足を運んだが、いずれも煮え切らぬ返事であった。星田は昭和30年に交野町と対等合併をしたのであるが、昔からの村同士の対立意識が残っており、町長が地元の人で反対したら顔がさすと言って、村全体が星田の原子炉騒ぎを対岸の火事と冷ややかに見つめていた。そのため、「交野の星田以外の六ヶ村は原子炉に賛成だから、交野町としては賛成せざるをえないよ」と町長や府庁から突かれていたので、村々を陳情してまわろうと自転車でまわることにした。自転車のある家の参加を呼びかけた、こうして朝8時、小学校校庭に続々と集まったチャリンコ部隊は、指示通り白い鉢巻をしめ、幟を立て、ポスターを荷台につみ、メガホン片手に蝉時雨の中、ペダルを踏みだす。デモの許可は警察にすませてある。もう反対運動は渦のように村をのみ、うねりとなって自ら動き出していたので、村人たちはお祭り騒ぎのように我も我もと参加するようになっていた。

 人々は思い思いの言葉で交野の村々に協力を呼びかけ、ペダルを踏む。「原子炉反対して下さぁい。原子炉来たら、この私市も危険区域になりまぁす」「星田を見殺しにせんと協力してくださぁい」と12時近くには、夏の日に照りつけられ皆の声がガラガラ声に変わってしまった。このチャリンコ部隊には100人が繰り出し、声を枯らして訴えたが、村人たちはうさん臭い顔でみつめ、何の反応も示さない。やさしく微笑んでくれたのは木々と百日紅だけで、貼ったポスターは次の日すべて剥がされていた。

(次号に続く)

※史科・参考文献
  • 交野町略史
  • 寝屋川市誌
  • 枚方市史
  • 四条畷市史
  • 水本村・議会議事録
  • 交野町・議会議事録
  • 原子炉発電を考える妙見坂小学校授業実践のための教材・資料集”えらいこっちゃ”
  • 樫本喜一 関西原子炉交野案設置反対運動を事例に
  • 実録 関西原子炉物語 

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